教科書が読めない、って?

 

◻︎ 現在、教育の現場で最も重要な問題は、教科書が読めてない子がたくさんいる、ということです。

 文章を読んでいるようで、実はちゃんと読んでいない。キーワードを拾っているだけだということです。『……のうち』とか『……の時』『……以外』といった機能語が正確に読めていないのです。

 

◻︎ 数学の問題は、『……のうち』とか『……以外』『……と接する』などという言葉をちゃんと読まないと解けなかったりします。

『…のうち』『…以外』という機能語が読めていない。意味が分かっていないか、読み飛ばしていたということです。

 

 どうしてそうなるのでしょうか。

    教育の仕方の問題もあるのでしょうか。

 

◻︎ プリント学習がその一つではないでしょうか。穴埋め型の学習が多い、蛍光ペン型学習もそのひとつです。これを一生懸命やっていると、いくつかのキーワードと数字で『たぶんこれだろう』となります。これでは、しっかり読み取ることは不可能でしょう。

 

◻︎ 基本の読みとか論理的推論ができない場合は、いくら知識を覚えても、それを整合的に使えるようにならないのです。学力の差が、知識量とかやる気の問題であれば、勉強したくなった時にやればいい、とも言えますが、そうではなくて、『読める』かどうか、が大きいのです。読めている人は、それほど頑張らなくても受験勉強をやって、入試を突破することができることがわかっています。

 

◻︎「読める」かどうかは、人生を大きく左右することになると言えるでしょう。

 例えば秘書の仕事のように、スケジュール調整をしたり、お礼状を書いたり、問い合わせに答えたり、1人で様々な仕事をやる職業の場合は、それをAIが全部肩代わりすることはできない。AIには、経験や人間としての倫理観や正義感に基づいて、あるいは所属している組織のルールだけに頼らないよう、その場で瞬時に、どれが重要かを判断したり、何らかの例外が起きた時の処理は難しい。そうした能力がある人は、AIが導入されても重宝されて、賃金も上がる。AI導入で職場を変わることになっても勉強して資格を得れば、その分生涯収入は高くなります。

 けれども、例外処理が苦手で定型的なことしかできないとか、他の部署や別の職種に移った時に柔軟に対応できない人は、低賃金となり、新たな賃金格差が生まれます。新たな知識やスキルを学ぶためには、教科書や参考書を読んで正しく理解する読解力がなにより大切になります。

 

◻︎ 義務教育が終わっても、教科書が読めない場合は、運転免許の試験も学科で何回も落ちてしまったりする。通信教育で資格も取れない。そうなれば、低賃金の仕事をするほかなく、それで体を壊したりすれば、住む場所もなくなって路頭に迷う……ということにもなり兼ねない。『ぼくはサッカー選手になりたい』というのはいいけれど、いつかは引退しなきゃならない。読解力が高い人は、選手をやめた後にもいろんな選択肢がある。コーチになるにしても、最新の体育科学を勉強して、どういうトレーニングをすれば最も効率がよく、選手生命も長くできるかを知って、よいコーチになれる。読めるか読めないかが格差を生む。読めることで柔軟に職業を変えたり、自分の夢を実現することに役立つということになるわけです。

 

◻︎ 国語を体系的に教えるのは、多様化するこれからは、ますます必要になります。

  国際結婚して、一方が日本語を話せない家庭も増えているし、日系ブラジル人で移住してきて、お子さんの母語はポルトガル語、という家庭もある。フランスやアメリカなど、よそからやってくる人が多い国では、システマティックに国語を教えます。『気持ちを推し量る』国語の授業の半分を、ちゃんと意味が読めるための体系的な指導に移していく必要があるでしょう。

 

◻︎ 学校で、子供たちが教科書も読めない状況で先生方は困っているという現実は、みんなが共有する必要があります。

 そして、学校でやるべき仕事を増やすのではなく、精査していく。むしろ教師の仕事を絞っていくことが重要なのです。何が必要なのかという選択と集中を、現実に科学的に向き合ってやっていく必要があるのではないでしょうか。

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